潔癖

 山岸凉子先生の短編『ブルー・ロージス』は、いつも活發な妹と比較され、劣等意識を抱えてきたレーターの物語です。処女で、現實味のない男性像を作風として居ましたが、取引先の出版社で明るくさつぱりした性格の青年からアプローチされ、初めて交際します。結局、青年に妻子がいたことを隠されていたと知るのですが、レーターを見下す妹や親類達とは異なり、なにをしても褒めてくれた青年との時間は、かけがえのないもので、戀への感謝だけを胸に、レーターは成長するのです。

冒頭にはテネシー・ウイリアムズ『ガラスの動物園』が引用されて居ます。男の子がガラスのユニコーンの角を折つて了い、女の子に謝るのですが、女の子は、これで他の馬と気樂に付き合える筈だ、と樂観して居ます。


さて、自身の周圍には變わつた人物が多いと言いたがる者が在ります。自身の組織にストリート系の男女や、オタク等が所属していることを、誇りとする傾向です。その中で、同じストリート系であるロリータだけは、歓迎されて居ません。よく、友だちがいない、だれからも嫌われている、等とつぶやくロリータのガチ戀勢を目にします。ネツト上でも、捨て垢で散々叩かれかれているようです。

何故そうなつてしまうの乎、答は歴史に有ります。純潔や処女性を尊ぶロリータは、その目立つ風俗から多様性の當事者であるように見えるものの、實はレイシズムに起源があり、多様性を認めない姿勢なのです。ユニコーンといえば、その背に処女しか乗せないことが知られますが、元々ガチ戀やロリータが嫌われているというより、そのユニコーンの角で、現實の男性と交際する非処女を自ら攻撃し始めた、という経緯を忘れてしまつたのでしよう。









暗の立場はいま、蟲を触るという、謂わば南部で黒人と結婚した様なものです。その立場に立つてみて浮き上がつてきた、日常の些細な人権侵碍の芽を列挙してみます。これらはいつもガチ戀が口にする言葉でもあります。

ひとつでも當てはまつたら、あなたにはもつと科學的、經濟的思考になる余地がありそうです。


👉蟲はどれもみなGと大差ない


👉肉や魚を捌けない


👉母親は母親自身より子供であるじぶんのほうが可愛いはずだ


👉不倫した藝能人の宣伝する商品を賈えない


👉コカインを摂取していた歌手の曲を嫌う


👉加碍者は惡で被碍者は正義だと感じる


👉罵るとき「〜とおなじだね」という言い囘しをする


👉結婚相手が亡くなつたらその人間は生涯再婚しないか後を追つてほしい