クロイを着たビスクドール

献辞
固い思考の地殻を穿ち、無数の小径を走らせた二人へ。
リゾームの一端に、わたしの糸を結ぶ。

プロローグ
氷点下1度の夜が明けると、屋根から吹かれた僅かな霞雪の舞う、透き通る朝がやって来て、ここはプラハなのかと、私は天文時計のある旧市街広場の塔を探した。新聞の版画のようになってしまった街の中に、確かにその銅板の屋根は、雪片の下から覗いていた。ほとんど真っ白になった十二月の首都では、鮮やかだった黄色な郵便ポストさえ、積年の日に焼かれた手彩色版画のように色褪せて、それとわかるのに近づいて見る必要があるほどだ。「K. K. POST」の刻印を指でなぞり、雪氷を割って見る。kaiserlich-königlich 「皇帝及び王に属する」を意味するそれは、彩度を失ったプラハの、さらに下に印刷され、削れたり褪せたりした、帝国時代のレイヤーだった。
音楽とは、降り積もった時間に覆われれば、ポストの刻印のようには掻き分けることさえ叶わないことがある。フラスミール・ティヒーの Zwei Melangen, zwei Stück Medovník 「2杯のメランジェ、2切れのメドヴニーク」という、第一次世界大戦後の大衆歌は、チェコ語に直されて流行したので、原題を今に伝える品は骨董にも見られないのだ。私がこの朝足を運んだ劇場で、この曲をモティフとしたマリオネット劇が上映される。なぜ脚本や劇団は、誰も知らぬこの曲の、しかもいまではプラハ・ドイツ語と呼ばれる、原作の言語で劇にしようと考えたのだろう。
私は、ザルツブルクにある博物館の学芸員として、ある旧家に声をかけられ、故人の遺品を民俗資料として調査する僥倖を得た。寄贈された日用品や書籍といった品々の中に、そのレコードはあった。ティヒーはドイツ語で作詞したので、かえって私の暮らす土地に蒐集家がいたのだ。レコードをデジタル音源化すると、プラハのマリオネット劇団から使用許可を求められ、私はあまりに脈絡のない出会いに興味を引かれた。こうして私は、休暇をチェコ旅行に使うこととした。
プラハ・ドイツ語―――それはドイツとスラブのせめぎ合う、河口のようなボヘミアとモラヴィア、即ちチェコで生じた、オーストリア・ドイツ語の方言だ。オーストリアの一部だった当時のチェコでは、単に「ドイツ語」と呼ばれた公用語だった。独立とは、この方言の放棄を意味した。
雪が降れば大道芸の姿はない。しかし目的の市民劇場まで歩いていると、国立マリオネット劇場だけではなく、途中のカフェや百貨店でも人形劇が催されているのが見てとれた。チェコで、世界遺産であるマリオネットを観るのだから、当然チェコ語でなければいけない。それなのに、劇場に入れば私がザルツブルクの旧家で見つけた音源が、穏やかな音量でプラハ・ドイツ語を囁いていた。創作民謡風の簡素な旋律は、短調で、スラブらしいものだったが、歌詞がオーストリア・ドイツ語の方言であることは、オーストリアに暮らす私にとって奇妙に耳についた。

Zwei Melangen, zwei Medovník für Marionette und mich
Die Marionette aß nichts, der Domovoj nahm’s

通路を通る者は私の耳にチェコ語を置いて消える。客席が暗くなる直前、見えた観衆の顔立ちはスラブ系のようだった。私にとってこの公演の言語は、とても馴染み深いだろう。しかし、チェコ・スロバキア共和国は第二次世界大戦中に、本格的にドイツ系貴族を追放し、プラハ・ドイツ語を絶滅させたはずだ。観客のプラハ市民は、学校で標準ドイツ語を習うからといって、恐らく劇中の台詞はほとんど聞き取れないはずだった。
足元の仄灯りに僅かに照らされて、客がひとつずつ開けて座った間に、大人ばかりが神妙に入って、まだ席を埋めた。ブザーが鳴り、やがて劇場は無音の暗闇になる。


ツィターの旋律の中、マリオネット劇の横に長い枠の片隅が、スポットの光に明らかになる。光の直径は狭いが、照らされたのは屋内の棚の上のようだ。天井と棚の間に、それはいた。
暗い棚の上で、眼光だけが異様にスポットを照り返して光っている。こちらの目が慣れてくると、どうやら小さな人間のような生き物だとわかってきた。顔を含めて毛に全身を覆われているのに、動くと手足が長いのが、こちらの背筋に冷水を浴びせる。先天的な多毛症の老人にも見え、異様な姿だ。上から下がる糸で操られて微妙に体勢を変え、首を傾げ、室内を伺っている。棚には制作途上らしい木製の球体関節人形が並んでいて、小人もまるでその工房で作られたかに見えたが、精霊なのだろう。
一度スポットが消えると、マリオネット劇の枠全体が改めて照らし出された。スーツの上にエプロンをした、壮齢の男性のマリオネットが、窓から雪を見ている。小人は棚の上から、音も立てずその容子を伺っていた。
すると更におかしなことが起きた。なんと、枠の外の下手に、人間の子役が朝食を持って来たではないか。小人は、さっと姿をくらます。それまでの、雪の日の工房という、セピアの写真のような世界の中で、少年はまるで絵画のように、緩く波打つ飴色の髪と、刺繍付きの白いブラウスを輝かせて、鮮烈な色彩とともにそこにいた。
―――Mister Nebel!
さらに奇妙なことが起きた。見事な刺繍つきベストとキュロット―――クロイと呼ばれる、チェコ民族を象徴するその衣装に身を包んだ姿から発せられた言語は、チェコ語ではなかったのだ。舞台の両脇の大きなモニターが、チェコ語字幕を映し出すと、ネーベルと呼ばれた人形作家が、ぽつりと、やはりドイツ語を発した。
―――Hast's ausprobiert? Ganz wie gedacht. Steht dir gut, ja.
「着てみたのか。思った通りだ。似合っているな」
朝食は工房の作業台とは別の円卓に置かれて、ネーベルは工房の中の椅子に、少年は人形劇の枠の左下に置かれた椅子に腰掛けた。少年は一人分しかないサンドイッチを食べるが、ネーベルは新聞を開いて、食事しない。
「美術学校に通っていたとき、私はビスクドールを制作していた」
少年は、静かに人形達の棚を見上げた。制作途上の人形達の中に、一体だけ、ガラスケースに入った人形がある。
「……もう三十年以上前のことだ。卒業制作は、クロイを着た少年のビスクドールだった」
少年は朝の挨拶をした以降、全く言葉を発さず、ネーベルは大人が一般にそうする様に、穏やかに話しかけてやっていた。
「ビスクドールの、少女とも取れる顔そのままに、少年のクロイを作って着せてみた。フランス人の顔でクロイを着ているな」
ふと少年はスープを掬う手を止め、顔を上げた。
「なぜビスクドールにしたか? ジュモーに入社したかったから。卒業後はジュモーの下請け工房に雇われた」
聞きたかったことがまだあるのか、少年は変わらずネーベルを見つめる。自分から主張せず、とても謙虚な様子だ。
「ああ、なぜプラハに帰ってきたか聞きたかったのか? 入社したときには、眼球や関節はもうドイツ製になっていた……あの港町で、時代の波濤をまともに喰らったということだ。その上私は離人症だったから、もはやジュモーにしがみつく理由はなかった……ほら、天気予報がある」
枠の中のネーベルが、不意に新聞を円卓に置くと、枠外の円卓にも、暗闇から突如新聞が現れ、少年が広げた。
朝食を摂り終えると、音楽にはハルモニウムとチェロが加わり賑やかになって、円卓は下げられ、舞台全体が漸く照らし出された。枠の外は、人形が所狭しと陳列された、店舗だった。舞台奥の壁には「Die Fabeln der Fäden」という店名が掲げられている。レジで帳簿になにか書き込んだ少年は、ドアを開けて開店の準備を始めた。
枠の中の工房では人形作家が作業を始め、円卓に小人が再び現れた。四つん這いで円卓に登り、パンを少しずつ齧り始める。コト、と音を立て、家主が振り向くと、精霊はサッと身を潜めた。人形作家は立ち上がり、ガラスのドームをサンドイッチに被せ、本棚の上にそれを供えた。
なぜ少年は人間の子役で、ネーベルはマリオネットなのだろう。俳優が登場するマリオネットの劇は、オーストリアでもたまに見られる構成で、それは驚くに値しない。だが奇妙に目につくのは、地味な職人と美しい民族衣装の少年の対比が、余りに鮮やかであることだ。ふたりが親子ではないことを表しているのだろうか。服装のせいで、ネーベルよりかえって少年のほうが人形のように見えるのが、意味深い演出に思えてならないのだ。
音楽がサビを終えると、また暗転し、人形劇の枠内だけが照らし出される。(3600)



















1
「彼はここに属していない、にもかかわらず、ここに来なければならなかった。」(カフカ『城』)
「始まりも終わりもない。常に中間にいる。」(ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』)




私はマイスター・ネーベルと呼ばれている。プラハで生まれたが、ドイツ語を母語とし、いまでもチェコ語は解らないでいる。
青年時代を過ごしたマルセイユでは、故郷の土を離れた為か、離人症となった。私と暮らしている売り子、フラスミールには話さなかったが、酷い時には職務中、気づくと市場にいたり、記憶にない人形が、作業台に現れたりなどしたものだ。
その人形は始め部品だったが、確かに私の作風のようなので組み立てると、決まってスラヴの精霊を模った、操り人形となる……そんなことを繰り返す内、私は見知らぬ私に導かれる様にチェコの地へと帰還したのだ。そしてケストナーやカメオに押され、10年としないうちにジュモーは廃業した。
チェコに戻るとき、私に融資をしたいと声をかけて呉れていたボヘミア貴族に、操り人形への転換を打ち明けた。私は別れの挨拶のつもりだったのに、相手は落胆するどころか、非常に喜びさえした。
操り人形は欧州全域に見られる芸能だが、ボヘミア、モラヴィアがそれを名物としているのは何故かというと、チェコ語で操り人形の劇を上演していたコペツキー一族の子孫が、民族復興運動の中心だったからだ。コペツキーは、既にハプスブルク支配下にあったチェコにおいて、純粋なチェコ語をまだ保っており、チェコの伝承や政治の風刺を上演しながら、ボヘミア、モラヴィア中を旅した。19世紀、コペツキーら民族復興運動は、ボヘミアとモラヴィアの共通の祖先の名前を「チェコ」とし、チェコ語学校創立や、標識のチェコ語併記を実現させ、ドイツ語からチェコを守ってきた。
チェコ人職人達にとって、オーストリア系のドイツ人は目の敵にされないだろうか。私はそう覚悟していたのに、その後も、私を熱烈な復興運動支持者であるように受け取る者は、跡を絶たなかった。ドイツ語を理解しているひとりのチェコ人職人が、「熱意ある」ネーベルに、移転の為旧市街の路面店を譲り渡してからというもの、私は直ぐに操り人形の世界へ放り込まれた。
ボヘミア、モラヴィア中に、劇場や劇団が増えていく。目まぐるしく二十余年間を駆け抜け、自治権獲得の為活動する貴族や、スラブらしくないフランスかぶれの私の人形によって、近代的な芸術性を追求しようとしている劇団の期待に、応え続けた。

いまから三年前、一九一四年の初夏だった。その日も私は瞑想を始めた。それは決意というには余りに柔らかく、意思と呼ぶにはあまりに軽い。芸術性とユーモアは殆ど同じといって良いもので、制作の意思は潰されてもまた戻るような、リネンのように心地よいものとなるからだ。瞑想は、「私が取引相手を気にせず振る舞うことだけが、取引相手の望み」という事実を、思い出す儀式となる。不断、被害者として相手の決めた日時などの約束を守っている大人になっている。このときリネンは押し潰されているのだが、創作で互いに不幸が平等であることを大切にし、「私は好きではないが客が喜ぶから」という言い方で芸術家に依頼して、芸術家もそれに応えようとするならば、互いにスケートが嫌いだからスケートリンクに行くのを道徳と呼ぶようなもので、実は対話は成り立っていない。取引相手や、その取引相手にとっての客ではなく、笑い、あるいは芸術そのものに対し納品しなければかえって業務にならないと知るのは、心だけだ。
そうして紙に向き合うと、
そのとき初めて体験したのだったと思う。見知らぬマリオネット職人と、自身を重ね合わせる作業だ。
明らかに関節が精巧で、部品としては完成しているそれを手に、見えない者の心と、心を重ねた。まだ見ぬ私、どこの民族の、何歳の男でも、女でもない、ただの造形師と、この朝に存在する私の意識とが重なる。何故マルセイユでは駄目だったのか、この病気は何なのか、城を超えて雪面まで、奇妙な内省はどこまでも拡がっていく。遥かモラヴィア、そして帝国全体を、私はこの部品を造形したときの私の意識と、連れ立って見下ろした。やがて、ヨーロッパ全体が眼下に広がる。ゲルマンとスラブの綾なす地形をしげしげと眺め、他者との関係性の間に生じた、できごとに過ぎないものとしての自己達を観察した。そしていつしか部品は、ひとつの見覚えのない操り人形として、完成していた。店舗に出て、出来上がったばかりのセルビアの皇太子、アレクサンダルを歩かせて見ると、配達員が、壁に備え付けた郵便受けに一通の手紙を投函するのが、ドア越しに見えた。
新しい依頼だ、と足元でアレクサンダルは囁いた。私達が出て見ると、手紙の差出人に、庇護者の銀行の名前が記されている。アレクサンダルは、作りかけのヴィルヘルム二世の衣装を退け、私に彫刻用の刀を差し出した。私が封を開けると、封筒からは畏まった融資完済の通知が出てきたではないか。私は肩の荷が降りたように嘆息しながら、一方で、ひとつの時代が終わった寂寞に、不用意に投げ出されてしまったのだった。




2
「美は永遠に畏怖の中にあり、われわれはそれによって震える。」 (リルケ『オルフォイスへのソネット』)
「リゾーム的なものとは、母でも子でもなく、生成する女である。」
(ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』)


「あっ……」
売り子の少年が短く声を上げると、私は足を本棚へ向けた。硝子のドームの中の、サンドイッチが半分くらいになって、皿の上には食べかすが散らばっていた。
「またか」
ここ数年、家の食べ物がなくなるようになった。このような豪快な食べ方をし乍ら、ドームを動かさないのはどんな動物だろう。発見者は私を見上げる。
「ドモヴニーク」と少年は呟いた。
「なんだって?」
「こんな都会にもいるなんて」
「ああ、精霊だな」
少年は頷く。
「こういうことだったのか」と、クロイを纏ったその肩に向かって、私は言葉を落とした。「君は私に、食べ物がなくなるなら、いっそ供えたほうがいい、と教えたね。その家精は確かに、供えられたものだけ食べているようだ」
私が本棚の上に朝食の残りを載せたのは、この売り子、フラスミール・ティヒーの提案があってからできた習慣だった。それからこの工房で、悪戯はぱったり起きなくなった。
ドモヴニークは、広くモンテネグロからポーランドまで見られる、スラブの精霊で、食物を供え、家を清潔に保てば、守護して呉れるという。確かに都会にいるイメージはないが、であればフラスミールが、モラヴィアの農村から連れて来たのではないかと思う。フラスミールがここに暮らすようになってから、悪戯が起き始めたからだ。
フラスミールには店舗の収益の遣り繰りを任せており、こうして少量だけ齧る理由もないので、私はこの少年を少しも疑っていない。逆に、フラスミールは私が齧ったと思っているだろうに、こうして家精を持ち出して私を追及しないのだから、私から追及することでその気遣いを無にすべきではなかった。
フラスミールは、朝食のときのテーブルにナフキンを広げて、昼食を摂り始めている。工房に戻ってきた売り子と入れ替わり、私は店に出た。


すると空虚な木の音が、カラン、と鳴った。座ろうと少し椅子を後ろへ退けた、私の脚からしたようだった。からだが軽く、そういえば、最後に食事をしたのはいつだっただろうか、と意識が遥か過去へと滑ってゆく。

私は終業後、鏡の前でネクタイを解いて見た。襯衣の釦を開けた胸元には、恒と変わらぬ肋骨の凹凸がある。木の音がした原因を示す手掛かりは、その少し上にあった。
突きつけられた事実は信じ難いものだった。私の喉の下のところに、接合部がある。首と胴体が、別の木材からできた部品だ、とでもいうような接合部だった。
何度見ても、何度姿勢を変えても、確かにある。
でも、それなら私の脳髄が稲妻に撃たれるのはどうしてなのだろうか。
黒い、細い影を吸い込む接合部に指を入れたいが、文句の付けようもない精巧な細工で、入れられない。私が横を向けば、その接合部から上だけが、胴体と無関係であるように回った。襯衣を脱いで肩を見ると、やはりあった。肩、肘、手首、鼠径、膝、足首に、大きな球体関節は姿を顕した。

サラエヴォ事件は既に勃発していたものの、夏の日差しと木漏れ日が、私の双肩を宥め、神経を温めた。仄かに憧れた女性との関係が清算された後だからこそ、私は穏やかに現状の硬さ、軽さ、軋み、空虚な音に、向き合うことができたのだと思う。
鏡を見つめる人形作家の背中を、私は思い浮かべる。馴染み深い工房なのに、その家主は会ったことのない私自身なのだ。筆で眉や髭を一本一本描き、木肌に微細なドリルで 〇.三ミリほどの穴を開け、睫毛と髪を植えている。倫理すら感じさせるほどの精密な工程を繰り返して、人形がミラント・ネーベルそのもののようになる。何度も鏡を見るうち、私は遂に木肌と肉体の間に、意識を滑り落としてしまったのか。
あのときカラン、と音がしたのは、大型の操り人形の肢体を荒削りするとき、まず木材の中をくり抜いていたからだった。だが人形作家の工房でそんな音がしたところで、近所の役人も、住民も、取引相手も、観光客も、この現象には気づかない。食事や排泄のない生活へ、私はただ滑らかに移行した。
誰も知らない怪異の最中、この工房にもうひとりの人形がやって来たのは、やはり突然の出来事だった。
夏を謳う街路樹の間で、緑の豊かさを知らずに、その人形は耳を塞いでいた。往来で立ち竦んでいるのに、誰にも見えていないかのようだ。等身大人形を取り囲む世界は、平然と動いて、色づいていた。
私もまた立ち尽くして、人形の姿をただ見た。絡まった頭髪と汚れた衣服は、随分昔に捨てられた人形であることを物語っている。背丈は通り過ぎる婦人より低く、十一、二歳くらいの少年を象った人形だというのが、遠目にもわかった。
それをよそに、傍の広場には、プレッツェル売りの子供たちと、スープの屋台の一家がやって来ている。人形と同じくらいの歳の子どもが売っていたそれらを与えると、人形はやっと痛みの感覚を思い出したように、息をついた。そして華奢な肩を落として、こう呟いたのだった。
音が聴こえすぎる、街が煩い、と、簡単なドイツ語で。

少年は人形ではなく、浮浪者だった。冷静になってみれば、若し座り込んだり、寝転がっていたりしたならすぐそれと分かるような身形だ。私はこのからだのせいで、当たり前というものを見失っていたらしい。
後でわかってきたことだが、フラスミールの脳は、どうやら音を処理しようとすると、労働の手を止めてしまうらしいのだ。酷い時は逃亡するほかないので、あの貧しい子ども達のような、その日暮らしもできないで居たのだった。
あるとき、フラスミールの布団や衣服を買い物をしていると、新聞売りの子を叱る大人のダミ声がした。そこまで脅迫的な罵声でもない叱り方だったが、フラスミールはまた硬直して、動かなくなってしまった。
「私が言うのもおかしいけれど、君を初めて見かけた時、等身大の人形が立ち尽くしていると思ったんだよ」
その辺の階段に、フラスミールを座らせる。笑いもしなければ、泣きもしない、助けた者に少しも応えないので、打ち捨てられた無感情の少年だ。
「人形のような人間と、人間のような人形の店だな」
フラスミールは漸く顔を上げ、不思議そうに私を見た。
何が言いたいのか、フラスミールは意味不明な科白を吐いた私の表情を読み取ろうと、暫く視線を投げかけていたが、私はその下で既に革手袋を外して、自身の左手を曝していた。
「どんな動力や原理で動いているのか、私にもわからない」 
静脈と骨が、手の甲に初老らしい模様を織り成している。しかしそれよりも目に飛び込んでくるのは、指の関節だろう。手指の関節は14個もの金属ジョイントになっているからだ。
フラスミールの目が私の指の節に釘付けになっているとき、私もまた、息を飲んでいた。
「君は……誰なんだ?」
公衆浴場へ行き、衣服を新しくしたフラスミールの美貌は、まるで新品のビスクドールのように見えた。
「いや、これも私が言うことじゃなさそうだな」
浮浪者だったときには、個性のない、地味に見えた顔立ちは、頬に薔薇色を取り戻し、見違えるようになっている。特にその飴色の髪は、夢のように見えた。焦がした砂糖のように、様々な濃淡、明暗で、恒に異なる条件の光に応えた。 (3920)





3
「われわれは形を創る。けれどもその形の中で、われわれ自身が変形される。」(リルケ『マルテの手記』)
「作者はもういない。残るのは、言葉を流通させる装置だけだ。」(ドゥルーズ『カフカ――小さな文学のために』)


何故寒いのだろう、というより、何故寒さを感じるのだろうか、と、棚に並んだ人形達を眺める私は考える。朝火を点けていた暖炉は、昼前に消していたからだ。今夜は寒さの厳しくなる前に、眠ってしまう予定でいる。繰り返した問には、辛うじての答えを出していた―――木偶が雪の日に寒さを覚えるのは、眠る必要がないはずなのに眠ることと同じ仕組みではないか。
いまの私のからだを造形していたのは、かつての生身の肉体のはずだ。どこへ行ってしまったのか不明なままだが、いまの私の感覚や精神は、かつての肉体にとっての幻肢の仕組みに近い、神経の信号の異常なのではないだろうか。全身が幻肢となって、而もそれが他人にも認識できたら、幽霊と呼ぶだろうか。
私が本当に幾晩も眠らず……若しくは真冬に屋外で眠り……はたまた首を抜いて修繕する等してしまえば、人形としてはまた直せても、精神はその瞬間死ぬのではないか、と思えてならない。その人間くささが、私を誰の目にも生身として、自然に映しているということの説明にもなる。

私が人形そのものであることは、フラスミールだけが知っている。出会ったばかりのころ、フラスミールは私が茶を淹れたとき、手袋を脱いだ手から目が離せなくなっていることがあった。なにしろ、フラスミールの前で手袋を脱ぐのは、まだ二度目だったからだ。いつも遠慮して引っ込んでおり、なにも主張らしいことをしてこないのに、そのときばかりはどうしても視線が釘付けになって、まだ心の底から驚愕に戦慄いているのが見て取れた。
正体を明かすだけではだめか。私は袖の釦を外すと捲り上げて、手首を差し出した。フラスミールは手を伸ばし、両手でそっと、私の腕を受け取ると、ひっくり返したり、揉んだりしてしげしげと見つめた。
「軽いか?」
フラスミールは頷いた。本来柔らかいはずの腕の脂肪らしき膨らみは、やはり木肌のように冷たく、全く指を沈み込ませない。
次にフラスミールは、私の爪の硬さを下から掬う様にカリカリと確かめた。私の白っぽい、僅かな赤みしかない爪の中は、押しても黄色く変色しなかった。私が最初に異変に気づいたときと同じ、恐怖に似た陶酔が、その目を染めている。すると匂いを嗅ぐので、私は思わず笑った。
私の笑みに、フラスミールは、はたと硬直した。視線は今度は私の口元だ。戸惑って私や棚の人形を、キョロキョロ見渡す。人形なのに私の口が動いているのを、この時知ったようだ。
「私の口角から、縦に皺があるだろう。そこは顎の継ぎ目でもある。少しだけ、口が開く」
固唾を飲んで、フラスミールは皺に手を伸ばした。
「木……」
私の顔は恐らくリンデンで出来ていた。睫毛を植えるには柔らかいほうが良いから。顔の他は、頑丈なメープルだ。
私の頬を撫でていた指は、睫毛をさっと優しく掬った後、瞼を撫でた。瞬きも、二重の線に見えるところを瞼の継ぎ目にして、実現している。それから、フラスミールは髭と眉に触れ、筆で描いてあることを見てとった。
髪の生際の産毛も同様だ。フラスミールは慎重に、私の揉み上げを撫で上げた。睫毛よりはほんの僅かに大きな穴が、きめ細かくなるような間隔で開けられ、そこに恐らく私自身の人毛が、膠で植えてある。
私がよく分け目とするので露われ易い部分の頭皮のみに、木の色が残され、ほかは穴をより目立たなくする為に、暗い茶色の産毛が表現されていた。そして髪は、床に落ちているものを拾うのでは足りる訳がない。髪を伸ばして、一気に切り取ったのだろう。
製作者が作業に向き合い、手を加えた回数と時間に比例して、作品の前で足を止める者の鑑賞の時間は長くなる。

作業台の背後の窓が、乾いた音で鳴った。当たっているのは雀や駒鳥の翼ではなく、風に舞った雪なのだろう。裏口の向こうでブーツが鳴り、なにか擦れる音がしたと思うと、白い息を吐いて、フラスミールが帰ってきた。雪だというのに、年末年始の為に、必要な食料を両手にずっしり持っていて、私は作業台から腰を上げた。私が荷物を受け取ると、両手の自由になったフラスミールは、雪を払って工房に入った。
私が冷暗所に荷物を置いて工房に戻ってみると、自然、暖炉へ視線が行った。だがその時、フラスミールは火のない暖炉の前にはいなかった。
クロイを着た少年はそこに静かに立っていた。ヴルタヴァ川に浮かぶ水鳥が、何を狙うでもなく俯いているのに似た姿勢で。私の作業台の傍らで、目を伏せる様に。
姿は磨かれたが、その佇まい、肩の細さは浮浪者だったときと変わらず、所在無さげだ。フラスミールの視線の先には、小さな軍服があって、私は作業台に戻った。
「それか。ボスニアの兵士に着せる予定だ」
今年最後の営業日が近づいている。このことは、夏が嘘のように過ぎ去り、半年の時間が雪下に埋もれているのを、示してもいた。
「こっちの部品? これからオスカー・ポチョレックになる。もう半年なんだな……コルフ宣言のことさ。セルビアは、クロアチアとスロヴェニアを連れて、ひとつの王国になろうとしているそうだ。戦争が終わったら、ボスニアも合流させたい、ということだろう」
珍しく話し込みたいのか、フラスミールは店舗には出ず、私の話を促して頷いた。聞きたいことは、ひとつだろう。
「私達はどうなるかって?」
パサパサ、と屋根から雪が落ちる。
「ユーゴスラヴィアの構想は、セルビアの亡命政府がロンドンやパリでの外交で形にしたんだが、新聞が報じるには、チェコの政治家も『チェコスロバキア民族評議会』といって、去年同じような亡命政府を作ったらしい。それだけじゃない。ロシア軍の捕虜になったチェコとスロバキアの兵士たちが、 いまや『チェコスロヴァキア軍』として纏まって、連合側の国々と外交している」 
雪が上から下へ降るように――それは、革命というにはあまりに穏やかすぎるやり方だった。 植民地にされたボスニアと違い、 チェコスロヴァキア軍の銃口は、ハプスブルクを狙うことすら考えていないのではないか、チェコには、確かにオーストリア由来の貴族による〈自治〉しかなかったとしても。
「もう帝国は倒れたに等しい。でもあまり思い詰めないでくれ。連合にとって、私達が独立して敵の帝国が小さくなるなら利点ばかりだからな」
窓の外では道路標識と、その下のブリキ板に氷雪が張り付いていた。フラスミールは私の視線を追い、そのチェコ語とドイツ語の併記された標識を眺めた後、注意深く私へ視線を戻した。
「フラスミール……きょうは私は饒舌だな。戦争の為に、随分歳をとった気がする。少し話が違うけれど……オーストリア・ドイツ語は、四世紀の支配の間にチェコの中で変化しながら定着しただろう。でもこの方言は、民族運動が言うような、チェコが支配されている負の歴史を示すものじゃない。むしろ、ドイツ語をチェコに染め上げたということにならないか?」
この発想は、民族自決を唱える世論とは、全く逆の姿勢なのはわかっている。ドイツ語が弱いだなんて、聞いたこともなかった。だが目を背けようとしても、オーストリアに迫られた結果生じただけの方言は、実際、無用のものとなるのだ。
「この店の共通語、君とこうして交わしているドイツ語は、いつかは消えてしまうだろう」
歩いて暖まった身体が冷えてきたのか、フラスミールは身震いした。2週間前、遂にロシアと休戦して東方戦線は凍結したというのに、薪と炭はまだ配給制だ。私達は室内であるにも拘わらず、セーターの上にフリースの上着や毛皮のマフラー等を身につけて、丸々としていた。
耐えきれなくなったか、フラスミールは私を抱擁した。私はしかし、応えはしなかった。
「私は体温がないから、上着も暖められていない」
「?」
「なぜ厚着するか? 私の存在自体が、どこかにある私の肉体が見ている、夢のようなものなんだと思う。夢なら、寒さも感じるだろう」
尋ねたかったことと違ったのか、フラスミールはまだ私の背中に腕を回したまま、じっとしている。人形は閑に容子を伺った。戦争が終わったら、この子はどこへ行きたいだろう。しかしフラスミールは、私の心臓のない胸に耳を澄ませるのみだった。(3490)(14960)






4
「音は沈黙から生まれ、沈黙に帰る。すべての創造は耳を澄ませることから始まる。」
(リルケ『オルフォイスへのソネット』 )
「機械とは、他の機械に連結する限りでのみ存在する。」 
(ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』)

年末前の最後の営業日、昼休みから戻ったフラスミールは、耳当てをしていた。少し寝込むといい、寝室へ入ってから数十分、私は店に留守の札を出して、様子を見に行った。
「悪い物でも食べたか」
ノックの後入ると、布団の中のフラスミールは大事そうに耳当てを押さえていたが、私の顔を見てそっと外した。
冬の休暇の街は音に満ちている。若しかしたら、毛糸とフリースのその耳当てが、危険を報せる音を遮断してしまうかもしれないが、また路上で無防備に固まるよりは、一時的につけていたほうがマシと言えるだろう。そう思って、出会ってから数ヶ月後の秋の日に、私から提案したのだ。自ら対処することを忘れるなら、こちらから改善策を示す必要がある。
「チーズと揚げ物を食べ過ぎました」
ベッドの横に屈むと漸く、フラスミールが微かな声でそう応えたのが聞き取れた。私が胃薬と白湯を差し出すと、若いのに胃もたれした少年は、徐に起き上がって受け取る。
「ドーナツ、減っていましたか」
「きょうは手がつけられていなかった」
フラスミールは出かける前、供物を確認して、食べられていないのを残念がっていた。食べられているときもあれば、そうでないときもあるのだ。
フラスミールはいまになって、サンドイッチを少し齧っただけで満腹になる精霊にとって、巨大な揚げ物は良くなかったと思い直したらしい。
「精霊の胃のことより、君はもう少し休んでいろ」
生身の人間だった時代、私にも徹夜や二日酔いくらいは経験があった。体調が悪ければ、不快な妄想や極端に鬱いだ考えも亦、雑音と共に襲ってくる。そのときの感覚をフラスミールの容子と照らして観察すれば、配慮はそう難しくもなかった。
かなり背が伸びたが、フラスミールはまだ美しく、しかも聡かった。初等教育は受けていて、庫確認も、材料の仕入れも、帳簿の計算もできた。いまでは人形の店舗を営業する為の、買い付けまでしていて、フラスミールは店舗にある総ての骨董や、異国の人形の出自を記憶している。押し黙っているので分かりづらいが、私と遜色のないドイツ語で、客に人形の解説をする情報量には圧巻される。
小さな少年は、どんな理由で打ち捨てられていたのか? 誰がこの子を愛さずにいられただろうか?
肝心なのは、本人自身、心地好い音楽等にも影響されるので、すぐ辛い経験を忘れることだった。自ら何とかしようとしないのだ。今までの保護者や雇い主は、確かにフラスミールを愛しただろう。だからこそ、己の限界を知らないで、周りを悪役にしてしまうフラスミールに、傷つけられたのかもしれない。フラスミールの顔やひたむきさが「好き」だった者は、実際にはフラスミールに固まられ、無視をされた。即ち、美しいだけだと思っていた者に反抗され、投げ出したのだ。フラスミールは反抗したのではなく、周りの傲慢な声を、よく聴いて、誰より観察していたにも拘わらず。

いま、ここにいる私は誰なのだろうか。私はあの晴れた冬の日、見えない私と和解できるように、と願い、実際に記憶にない人形を作ることはなくなったのだ。私はそれ以上ないやり方で心を味方につけた。それは、心をこの世のどこまでも広く展開しながら、既に木材の中にある作品を見出すことだ。忠実に、慎重に発掘し続けた。

だからといって、永久に自己を修復しながら、この世に存在するというのだろうか。

「それでも、街は煩いと思います……僕が音から逃げ続けることも変わりません……」
「私は思い通りに人形を作ったことはないんだ。例えば、新しい道具に替えたら、左右されるのはわかるだろ」
珍しく話し込もうとしているフラスミールから、私はマフラーと帽子を受け取り、壁に掛けてやった。
「それは、道具に支配されている、ということとは違うんだ。実は、私ひとりで操り人形の専門家になると決めた訳でもない。そのときの私の体調と、世間の需要から、操り人形を作るよう導かれた。それも、責任感がないのとはまた違う」
帽子を取ると、飴色の髪がさらさらと顕れる。浮浪者だったときの伸びすぎた、枯れた葦の塊のようだった頭髪は、公衆浴場で洗われ、襟足を品良く刈られ、歳相応の輝きを取り戻していた。それは夢のような光景だった。まるで贈られたビスクドールの梱包を解くように、私は続けて、本来誰もが愛さずにいられるはずのなかった、この人形のような少年の上着も受け取る。
「君と音とは、まるで吸う息と吐く息のようだ。主人にならなくていい。君自身に対しても、気持ちを押さえつけるのではなく、どんな音が耐えられないか、昆虫にそうするように心を観察するしかない」
それはフラスミールにではなく、チェコへの願いだった。ボヘミアは中世から、旧教の権威に頼ることがなかった。ユダヤ人、ロマ人、ドイツ人、チェコ人、シレジア人、クロアチア人、ゴラール人……それらの共通言語は、いつもラテン語ではなく、金だった。海のない国において、何故あらゆる芸術が宗教から自由なのか、理由がここにある。それなのに、いまさらオーストリアに起源をもつドイツ系を、どうにかするようなことはないとわかっていても、いつでも、

トルストイ(『戦争と平和』的文脈): 「歴史は、勝者の歓声よりも静かに流れる川のほとりに書かれる。」








Mirant Nebel(1863-1918)
ミラント・ネーベル

Hlasmir Tichý (1903-1934)
フラスミール・ティヒー

Benedicta Clara Magdalena von Altenkrone(1858-1934)
ベネティクタ・クララ・マグダレーナ・フォン・アルテンクローネ

Eiskrone
アイスクローネ

Schloss Winterthal
ヴィンタール城

Altenkroner Kredit- und Handelsanstalt
アルテンクローネ信用商業組合

—通称「アルテン銀行」。1880年代後半に創立。
表向きは貴族領の産業近代化を支援する地方銀行として始まりました。だが実態は、ベネディクタが主導して設立した「女性貴族による金融ネットワーク」。
チェコ人実業家とウィーンの財閥の中間に立ち、双方から資金を動かしつつ情報を握る。彼女は「融資」という名の外交を行う人物です。 

プラハ支店:チェコ語話者の知識人層を融資で取り込む。
ウィーン本店:貴族社会の表舞台。資金運用は保守的。
チューリヒ連絡所:帝国検閲を避けた「思想資金」の移動拠点。 





第一次世界大戰中の西暦一九一八年、新年の布拉格には到る處にてマリオネット劇の上演があり、土産物店として人形の店もまた賑はっておりました。繁華街の裏手にひつそり佇みし「Die Fabeln der Fäden」の店主、マイスター・ネーベルは、靑年の貌をなす人形にてございます。如何なる仕組みにて動けるや、當人さへ知る由はありません。本物のネーベルは既に世を去り、生前に自身と寸分違はぬ等身大の球體關節人形を制作した次第にございます。店の奥にある工房に籠れば、人形と化せども尚、職人として新しき人形を制作し續けました。

店主が人形であること、これを明かされて居るは、ひとりの捷克人の売り子のみでした。売り子の名はフラスミール・ティヒーと申す、まるで人形のごとき、飴色の髮を具へた美しき稚児でございます。優雅な貌に似ず、稚児は過酷な労働環境の下に育ち、過勞により親しき者共は既に故人にてありました。今に到っても表情は乏しく、言葉を發することも稀にございます。何らかの病に侵されているやうで、些細なる音に蹲り、不快なる音に曝され續ければ、全く無反應にて立ち尽くすこともあります。ネーベルより「本當に人形にてはあらぬか」と戯れに問はれ、人形のごとく民族衣装にて着飾るべしと指示せられたる次第にございます。フラスミールを幇ける人形の手は冷たく、革手袋の下の指には、精巧な球體関節があるのを想わせるのでございました。

若い頃佛蘭西で修行したネーベルの人形は、伝統的な人形の造形から逸脱して居ました。スラブ系の凍てついた作風の影はなく、佛蘭西の當世風の美男、美女を想わせ、顏に幾度となく彫刻刀を當てた數の分丈、人々が足を止める時間は長くなりました。繊細なる顏の造形に對し、頭髮は簡素に撫で付けられたような造形であることが、ネーベル特有の雰囲気を醸しました。
人形劇は、チェコの民話、傳承、民謡などを傅ふる手段となり、亦大戰中の國内外の政治家、軍人等を風刺した脚本も見られたのでございました。そして何より、觀客の心を奪い、等しくマリオネットに魅了された民族であるという意識を維持し、捷克語の保存にも役立ちました。しかしながら實のところ、ネーベル自身の來歴においては、捷克語をほとんど解せぬまま、德語話者として育まれし次第にございます。周圍の民族が團結する中、チェコにも獨立の機運が巻き起こっておりましたが、然して德語話者のほうが経済的に生き易いことから、捷克語ではなく德語を用ゐる學校に通い、德語にて生涯を送る者も夛く存在したのでございます。

捷克の方言の德語は、捷克が支配されてゐる証にあらず、むしろ捷克が逆に德語を捷克に染め上げた由を示唆す可し。或意味に於て、心は誰にも支配されざることを示すものなり――と、ネーベルはフラスミールに語りました。かへって捷克の方言の德語の方が、奧斯多利亞に依存する點に於て、捷克語より自己の意識薄く、些細なる契機にて瞬く間に消ゆる――との考へは、民族自決や捷克語の重要性を强調する世論とは、全く逆の姿勢でございました。

されどその冬、戦爭ゆゑに貧困に苛立つ聲多く、フラスミールはその喧騒より逃れ、己を制御し得ぬものかと考へ入りました。
「心は帝國のものではないなら、己のものでしょう?」
と、フラスミールはネーベルに問ひます。生きようとするフラスミールの眞摯な姿勢に、ネーベルは論より藝術で應ふることとしました。
「私は、恒に人形を思ひ通りに作るのではなく――本来はこんな人形だったのか――と納得出来る樣、心が教へることを慎重に再現しているに過ぎぬのだ」と説きました。
「心と同じく、制作に用ゐる彫刻やら彩色やら、諸々の道具さへ支配せぬ。唯對等に語り合ふのみなのだ」
道具を新たにすれば、その度作風は練り直される、といふことは、フラスミールにも想像が出来ました。
「己の氣分を制御するにも亦、心と對等に和解せねばならぬ」

フラスミールは、昔日に受けし初等教育と、人形店にて勤めし經験により、德語を會得しておりました。ラヂオにてスロヴァキアやスロヴェニア、クロアチアが獨立に成功する可能性有りやとの報を聴きし時、ネーベルはふと語り出でました。「此の店はあくまで、人形の制作に附随したギャラリーに過ぎぬ。君に継がせんという願ひはない」と。
かくして将來の夢はできたりやと尋ねられしフラスミール、樂器に触れたることさへなきに、何故か自然と「音樂家とならん」と答へ、捷克の方言の德語にて作詞することこそ夢なりと申しました。
その夜、ネーベルは眠りにつきたまま、もはや起きませんでした。開店の時刻、寝處へ聲を掛けるに、意識は存せしも、衰弱しきっておりました。球體關節は無く、触れればただの人間の柔肌にてございました。
その後、醫師に見せしところ、精神の奇病を幾つか併発し、己が身體を人形と思い込んだゆゑに、長らく食物を摂っていなかったと告げられました。フラスミールも亦、同様の精神病であったのか感染しやすく、店主の身に、幻の球體關節を見出していた由にてございます。

戰爭の集結と共に、ネーベルは風邪を拗らせ、極寒の內にて體力も回復することなく、呆氣なく亡くなりました。雪の薄く降り掛かったモノクロームの街並みの中、フラスミールはその日ツィターなる臺形の筝を購入し、店に持ち帰りました。触れると、忽ち元より身體の一部であったかの如く理解し、捷克の方言の德語にて弾き語りました。音を嫌ふ心と向き合ひし時、小さく折り畳まれ、隅に追いやられて居た心は忽ち開かれ、音樂の才能を發揮し、フラスミールに協力したのでございます。

雪の下から色とりどりの愛らしい屋根が姿を顕す頃、街角にて弾き語りせしフラスミールは捷克、獨逸、スラブの民族樂器の何もかもをものにして、半年剰りの間に名を馳せました。そして麗しく木の葉舞う秋、人々は獨立後も、それをありふれた失戀の歌と捉へて愛唱しました。もとは、ネーベルとハプスブルク時代を追悼して歌はれし由を知る者はおりません。勢い名を馳せるも、フラスミールはそのまゝ藝能界に進出せんとすることはございませんでした。フラスミールは德系チェコ人たちと音樂活動を為しつつ、又雪の振る頃、ハプスブルク帝國皇帝退位の日を静かに迎へます。

かくして、かつてネーベルと共に暮らした「Die Fabeln der Fäden」は、樂器制作を為す仲間に譲り渡し、フラスミールは音樂活動を通じて、最早息絶えたプラハ德語に、静かに寄り添ひつつ、人生を送りました。